教員氏名 | 阿部 信行(アベ ノブユキ) |
職名 | 教授 |
最終学歴・学位 | 東北大学大学院法学研究科後期博士課程・法学修士 |
専門分野 | 法哲学 |
学協会活動 | 日本法哲学学会、世界法哲学社会哲学学会(IVR)、社会思想史学会など |
【主な著書・論文等】 |
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1.「ロベルト・アレクシーの法的議論理論とその展開」(修士論文1991) 2.「生ける直観・思慮ある服従・適用討議:視線の往還をめぐる判断力・フロネーシス・実践理性」『東北法学』12号1994 3.「〈法的討議の社会理論〉への道程:アレクシーの近著『法の概念と妥当』(1992)を読む」『法哲学年報』有斐閣1996 4.「市民社会の復権」『法哲学年報 特集・20世紀の法哲学』有斐閣1998 5.「ハーバーマスの「<現代市民社会(Zivilgesellschaft)> 本位の法理論:『コミュニケーション的行為の理論』から 『事実性と妥当性』への歩み」今井弘道編『新・市民社会論』風行社2001 6.(共著)「“Zivilgesellschaft”の社会哲学・法哲学:各論文の概観を通して」同上所収 など ◆◆◆◆◆ その他 研究内容・学生へのメッセージ ◆◆◆◆◆ 【問題関心】 ・時間の基礎理論 とくにSebastian Roedl氏(ピッツバーク/ピットブルクで修行し・現在ライプチヒで教鞭をとる哲学者)の 主著『<時間的なるもの>の諸範疇: 有限的知性の諸形式の研究』 出版にむけて訳しながら読み進めているところです。 ・経 験 というもの 遥か遠くにゆくことなのに、なぜかくも貧しいものになってしまったのか。 そもそも経験そのものの近現代における構造に私は疑念すらいだいている。 かつて森有正氏が『バビロンの流れのほとりにて』や「木々は光をあびて」などで取組み、 そのあと藤田省三氏が「或る喪失の経験:隠れん坊の精神史」や「安楽への全体主義」で引き継いだテーマです。 3.11から八年目の現在、ますます切実な問いになっています。 【現在の研究テーマ】 ① ハーバーマス社会理論 ② アレクシーの法哲学 ③「遺伝子工学」等の規制問題。《法的討議の社会理論》の立場からとりくむ。 ④ 「時間の法哲学」――移行期(transition/Uebergang)の問題群に、遡及法・時効等の時際法問題を盛り込み体系化したい。 【学生へのメッセージ】 ヨーロッパでは中世以来、学生と職人は師をもとめて各地を放浪します。その今や廃れつつある習わしをなぞるように、遅ればせながら私も放浪してきました。高校時代通学でまきこまれたラッシュアワーの人並にぞっとして故郷の東京から逃げ出し、まず北海道へ。森さんの『内村鑑三』に感化され・海洋生物学者クストーにあこがれての札幌で理学部の門をたたきそこで生物学をまなぶも、社会問題(科学と社会)にめざめ・海洋生物学者の夢はしぼみ、二人の師につこうと京都へ。そこの法学部で法学政治学を初歩からまなぶのと並行して、単位まったく関係なしの人文研通いで社会人類学とコミュニケーションの民族誌・言語哲学の手ほどきをうけました、そしてけっきょく仙台でドイツ法哲学の師のもとで学者修行をして今日に到っています。 わたしの敬愛する中世史の先生が公言していました―― ・学問とは、自分の内的必然からやらなければ、無意味だ ・カリキュラムなんかにこだわる人間はつまらない ・本当に学ぶと、ひとは一瞬にして変わる ・すぐ役立つことはすぐ役立たなくなる どれもおなじことしか言っていません。わかりますか? みなさん、(学び方もふくめて)学ぶという営みに集中的に携われる最後のチャンスだってこと、わかりますか? もっぱら<ガクジョウ=学生>たれる生涯最後の期間だということを自覚して大学生活をすごしてください。 しかも、内容よりも学び方を学ぶことに重点をおいて! 本学での担当科目 「法哲学」「西洋法制史」「法社会学」「基礎ゼミ(StepUp)」「専門ゼミⅠ、Ⅱ」 |