エンブレム・校歌

白鴎の由来

1974年に刊行された世界的ベストセラーとなったリチャード・バック著「かもめのジョナサン」。実はこの本の本邦初訳に挑んだのは、本学の創立者にして初代学長の故上岡一嘉なのです。
当時、上岡学長はこの「かもめのジョナサン」に描かれた、妥協することなく自分の理念を貫き通すジョナサンの姿に、手づくりで大学教育に立ち向かわんとしていた自らの信念を重ね合わせ、大学新聞「はくおう」に翻訳を掲載。
「白鴎」という校名は、この強い感銘から付けられたものでした。
その後、リチャード・バック氏より学長あてに「ジョナサンのように飛び続けてください」との、心あたたまる直筆ハガキが送られてきました。

エンブレム

白鴎大学エンブレム

~ The emblem of HAKUOH UNIVERSITY ~

the checker means five continents, the stripe means three oceans, and they express the posture that we'll have a good look at the world widely.

校歌

白鴎大学校歌(歌詞)

校歌を聴く事が出来ます(MP3/1.3MB)

キャンパスソングを聴く事が出来ます(MP3/4.6MB)

校歌について

 〜 人生のすべてを捧げた壮大な夢の前で、最大の尊敬の念を込めて 〜
 芹澤 廣明(作曲家)

白鴎大学の校歌作曲の依頼を受けたときに「ああ、大変な仕事が来てしまったなあ」と感じたことをいまでも憶えています。 それは、将来に夢や希望を抱く学生たちがことあるごとに歌い聴く音楽であり、そして卒業した後も心のどこかに残るべき歌でなければと感じたからです。
音楽家として様々な楽曲を書いてきましたが、白鴎大学の校歌は、私にとって特別な作品です。 創設者の上岡一嘉学長の建学の精神や教育哲学、心に描いた理想、夢といったものに対して、最大の尊敬の念を込めて書き上げました。 開学に向けて血のにじむような闘いの日々を送ってこられた関係者の方々の、新設大学に賭ける熱気や気炎に応えられるように、音楽家魂のすべてをそそぐ覚悟で闘うようにつくった憶えがあります。
上岡先生の人生のすべてを捧げた壮大な夢の前では、風塵の如き営みにすぎませんが、その記憶はいまでも私のささやかな誇りとして、こころのなかで息づいています。
上岡先生には開学式と、満開の桜の唐沢ゴルフ場にお招きいただいた春の日と、お目にかかった時のことを印象深く憶えています。 知性と野生、やさしさと強さを兼ね備えた、風格のある佇まいに、人生の深い味わいや、夢を見る人間の素晴らしさを垣間見た気がしました。
真に人間を愛している男のまぶしさのようなものを感じとることができました。夢見ることと同様に、心から人や人生を愛せることも、天から与えられた才能なのではないかと、そんな想いが満開の桜の下で心をよぎりました。
早いもので、校歌を披露したあの緊張と感動の開学式から18年が経ちました。大学に縁のある先生や記事などを拝見するたび、私と売野雅勇氏とで作ったあの校歌は、白鴎大学のためになっているだろうか、また、学生たちに好かれているのだろうかと心配するのです。なぜなら、私の作った音楽は私の心だから、そして私の子供だからです。 そしていま私は感謝しています。 18年間この校歌を歌ってくれた若者たちに。

 〜 魂の叫びとして聴く人の心を打ち、生命の讃歌として歌う者の心を貫く「歌」〜 
売野雅勇(作詞家)

開学を翌年にひかえた1985年の夏が終わるころ、上岡條二副理事長から「来年新設される白鴎大学の校歌を、芹澤廣明、売野雅勇という中森明菜・チェッカーズを世に送り出したゴールデン・コンビで書いてほしいのだが」というお話があり、ご指名いただいたことを光栄に感じるとともに、たいへん緊張したことを憶えています。 ポップスという俗に通じた詞なら専らとするところですが、大学の象徴ともいうべき校歌は、いっかいのポップスの作詞家にとって荷がかちすぎているように感じました。 しかし、打ち合わせを重ねているうち、上岡一嘉初代学長の新設大学へのヴィジョン、建学の精神や教育理念といったものに共感を覚えると同時に、その志のたかさや人間に対する理解や愛情の深さに感動したこともありました。 打ち合わせのメモや学園の資料を眺め構想を練りながら、上岡先生のお創りになる大学で学んでみたいとふと思うこともしばしばでした。 先生のほとばしるような情熱に感化されたのでしょう、最善を尽くし、作詞家としての生命を賭けるつもりで白鴎大学の校歌を書こうと、いつしか当初の緊張は、気がつけば情熱へと変容していました。そして、この「歌」は上岡一嘉という気概に満ちた男の魂の叫びとして、聴く人の心を打ち、高い理想を持った教育者の生きとし生けるものへの生命の讃歌として、歌う者の心を貫く歌なのだと、確信するにいたりました。 まだこの世に存在していない校歌の礎のようなものが、そのようにして心のなかで確かな手ごたえを伝えてきたのでした。
私は日常の仕事から自分を隔離するつもりで、原稿用紙と資料だけを持ち、秘かに南の島へ出かけました、あたかも約束の期日までの1週間を、上岡一嘉初代学長との密月に仕立て上げるような気持ちで・・・・・・。 そして、あと数行で完成という言わば作詞のクライマックスの夜、超大型の台風が島を襲い、送電線が切断されて島中が停電し、その最後の長い夜、私はキャンドルの明かりひとつで白鴎大学の校歌を書き上げました。ほんとうにドラマティックな想い出です。
理想の大学を創るという信念と夢、そこに込められた精神や愛を、永く後世まで伝えるという使命をもった校歌づくりに参加できたことに、作詞家として深いよろこびと感謝の気持を感じずにはいられません。

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