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PRESIDENT OF HAKUOH UNIVERSITY

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HAKUOH NEWS 20号

HAKUOH NEWS 20号

アカデミーの源流で


学長 奥島孝康


 もうかれこれ十四、五年も前野ことになるが、大学の出張でギリシャのアテネを訪れる機会があった。ぼくはこの機会に、かねて一度は訪れたいと思っていた「アカデメィア」の地を踏むことができた。まさに至福の時であった。

 ここは、哲学学校(アカデメィア)を開設したところである。現在、学校を意味する「アカデミー」という言葉は、この地の「アカデメィア」から生まれた。それゆえ、ここはいわば、「学校の発祥の地」と言ってよい。ぼくは、教師となった以上、一度はこの地を訪れ、プラトンがその師ソクラテスやその弟子アリストテレスと談笑しながら散策したり、若き弟子たちと議論を交わしながら歩いたりしたその場所に立ち、その風を肌で感じたいと願っていた。


 ところが、アカデメィアはぼくの持つ観光マップには見当たらない。そこで、観光タクシーの運転手に聞くと、「そんなところ訪ねる人はいないよ。このアテネには観光スポットはいっぱいあるから、そちらに行ったほうがいいよ。」とアドバイス(?)までしてくれる始末だった。それでもなんとか地図を調べてもらい、ようやくアカデメィアにたどりつくことができた。


 出かけてみると、そこは観光客など一人もいない、日比谷公園の三分の一足らずのアテネ市内でも淋しい公園だった。ぼくの頭の中で描いていた鬱蒼とオリーブやスズカケの茂る神苑の面影はまるでない、それこそどこにでもある手入れの行き届かない都市公園の一つでしかなかった。それでも、その場に立って眼をつぶると、ユスティニアヌス帝(「ローマ法大全」を編集した有名な皇帝)によって閉鎖されるまで、900年にわたって存続したアカデメィアでプラトンが弟子たちと議論している様子が想像され、ぼくは深い満足感にしばし時のたつのを忘れた。


 もとより、当時のアカデミーと、現在のそれとはまるで異なる。しかし学問に対する姿勢についていえば、両者は深いところで一致している。学生諸君は、本学において何を学び、何に傾倒しようとも、学問に対する畏敬の念だけは失ってはならない。

 

 幸い、本学からさほど遠からぬところに、室町時代に創立された「足利学校」がある。在学中に一度くらいはそこを訪れて、「坂東武士」の心意気を想像してみてはどうか。



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